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文章教室・錬成コース 9月の推薦作品より

 今月は、9月の推薦作(1600字の自由題)より、力作が揃う中からご紹介します。
担当の添削講師の推薦の評もご覧ください。

「ホームレス歌人」 丹羽ふじ子氏作

(2011年9月自由題)

 二〇〇八年十二月に、朝日歌壇欄に彗星のごとく現われて、翌年九月にぷっつり音信を絶った、自称ホームレス「公田耕一」氏の歌が今も忘れられない。

 〈柔らかい時計〉を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ   (ホームレス 公田耕一)

 これまで短歌に興味のなかった私だが、「ホームレス」というミステリアスな投稿者の、にじみ出る教養の深さと、ホームレスという立場が不似合で、月曜日は真っ先に、歌壇欄に「ホームレス」を探すきっかけになった一首である。

 歌壇読者の反応は即座に現れて、「ホームレス歌人さん、連絡を」と担当者は記事にした。朝日新聞一面の天声人語にも取り上げられた。

 美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻

 「この歌は選外ながら、耳底に残る『良き時代の音』に、野宿の身を重ねて哀しい」と記した。同じく選外の

 百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買う朝日新聞

 この歌には、私の幼かった日が重なって見える。父を亡くした翌年、終戦の夏を、小学二年の私は疎開先の継母の親戚の家で迎えた。狭い家には名古屋大空襲で家を焼かれた多数の家族が子供連れで身を寄せ、食糧難のさなかでもあって私の居場所はなかった。

 そんな或る日、一里もある学校の帰り道で、わずかなお金を拾った。真夏のかんかん照りつける日だった。線路の踏切り脇で、荒ムシロの上に古本を並べて売っている男性がいた。

 立ち止まって見ると子供の本は一冊もなかった。きっとお腹を空かせていたと思うが、そのお金で読めもしない大人の本を買った。

 罪悪感はなかった。白い表紙には「大谷〇〇子」と記憶している。父が買ってくれたような気がした。

 雨降れば水槽の底にいる如く図書館の地下でミステリーを読む

 名古屋鶴舞中央図書館も、地下に水槽のようなロビーがある。平成十五年の春、私はこの図書館で思いがけない人に出会った。玄関のゲートを通るとき、その人はすぐ前を歩いていた。七十代前後の小柄な男性で無精ヒゲが顔を一面に覆い、新緑の季節なのに真っ黒なマントのような上衣をはおっていた。

  一見してホームレスの人だと思った。館内にいつも二人や三人の男性が窓際のソファーや書架にもたれて寝ている人がいる。そんな類の人だと思った。

 しかし貸出しのカウンターに行くと、偶然その人が隣のカウンターへ来た。一冊だけ分厚い本を持っている。興味にかられて覗きこんでびっくりした。紺色の表紙に『カント全集』と書かれていた。

 私は恥ずかしさに気が動転して、本を受け取ると一目散に逃げるように図書館を出た。あれから何度も図書館へ出かけるが、再び相まみえることはない。

 我が上は語らぬ汝の上訊かぬ梅の香に充つ夜の公園

 担当者の呼びかけに、しばらくして「ホームレス歌人から返事来る」の記事が載った。「ご厚意ありがたく思います。が、連絡をとる勇気は、今の私には、ありません」と。

 含羞な知識人なのであろう。世間で大きな話題になったことで、身を潜めてしまったのだろうと推測する。

 寒くないかい淋しくないかい歌壇でしか会えぬあなたのしばしの不在

 生活はどん底であっても公田氏は幸せだ。「我が上は語らぬ」と話したくない気持ちは真実だろうが、語りたくないことほど話したいことではないだろうか。私の場合、ただ、話す人が居ないだけである。

推薦の評

添削講師 辰濃哲雄 氏

 ホームレス歌人の感想だけに留まらず、自分の生い立ちを重ねたことで、作品に奥行きを与えています。幼いころ、継母の親せき宅に疎開し、肩身の狭い生活を強いられていたとき、拾ったお金で読めもしない大人の本を買った丹羽さんの寂しい思いが、ひしひしと伝わってきます。ホームレス歌人には、歌があるが、いまのご自身には語る相手がいないという寂然たる思いを、淡々とした筆致で表現しています。いやいや丹羽さん、こうやって多くの人の心を打っていますよ。丹羽さんの「語り」は。

 渡辺はな子さんの「旧友」もいつもながらなかなか読ませます。目頭が熱くなりました。