第36代木村庄之助の大相撲談義| 立川教室 | 朝日カルチャーセンター
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相撲名物記者が聞く 第36代木村庄之助の大相撲談義

講師名 元立行司 三十六代 木村 庄之助
朝日新聞記者(元大相撲三賞選考委員) 抜井 規泰
講座内容
36代木村庄之助 / 聞き手 朝日新聞 抜井規泰記者
中学3年の冬、郷土の英雄だった鶴ケ嶺に「会わせてやる」と言われ、学校を休んで巡業先に行ったところ、なぜか行司に内定した。その時の思いは、講演会当日、ご本人から聞いてみたい。
当時、相撲部屋とは別に、行司だけが寝起きする「行司部屋」があったが、その行司部屋で暮らした最後の世代。初土俵から50歳を過ぎるまで、本名の「敏廣」(式守敏廣)を名乗っていたが、式守與之吉をへて式守勘太夫を襲名したのち、2008年夏場所で第38代式守伊之助を襲名。11年九州場所で、行司最高位の第36代木村庄之助を襲名した。
行司きっての達筆で知られ、立行司に昇進する直前まで7年余り、番付表の書き手を務めた(戦後6人目)。行司の中には、土俵の裁きだけを喜んでやる者もいるが、36代は番付書きのほか、事務作業などの裏方仕事も手を抜かず、特に口の堅さは有名で、後輩行司はもちろん親方衆からも絶対的な信頼をされていた。
木村庄之助が裁くのは、結びの一番のみ。行司の世界は、最高位の者が最後まで仕事をする世界で、最年長者が、最も俊敏な取組を裁かなければならない。さらに、横綱土俵入りでは、蹲踞(そんきょ)したまま2分近く身動きひとつできない。足腰を維持するために、何十年もの間、エスカレーターを使わなかった。
真面目を絵に描いたような第36代木村庄之助。中学卒業から50年間を過ごした相撲界の思い出を、たっぷりとうかがいます。(聞き手 抜井規泰・記)
日時・期間 土曜 13:00-14:30 06/09~06/09 1回
日程 2018年 6/9
受講料(税込み)
6月~6月(1回)
会員 3,024円
一般 3,672円
教材費
設備維持費
注意事項
講師紹介 三十六代 木村 庄之助 (サンジュウロクダイ キムラ ショウノスケ)
第36代木村庄之助。本名・山崎敏廣。1948年5月16日生まれ。
鹿児島県枕崎町出身。枕崎市立枕崎中学校を卒業する64年3月に、式守敏廣として初土俵。師匠は、大鵬の連勝が45で止まった「大鵬-戸田」戦で「行司軍配差し違え」とされながら、のちに正しい軍配を上げていたことが分かった第26代庄之助。
85年1月、十両格行司に昇格。2000年1月、番付書主任となる。2008年5月、三十八代式守伊之助を襲名。11年11月、三十六代木村庄之助を襲名。13年5月の夏場所をもって、相撲協会を定年退職。井筒部屋所属。
抜井 規泰 (ヌクイ ノリヤス)
朝日新聞記者。元大相撲三賞選考委員。1994年、中央大学法学部卒。同年、朝日新聞社入社。週刊朝日編集部、特別報道部、スポーツ部などをへて、現在、社会部立川支局記者。主にスポーツ記者として、大相撲、プロ野球、大リーグを取材。週刊朝日編集部時代にプロ野球ロッテ球団の薬物疑惑をスクープ報道したほか、「マブチモーター会長宅強盗殺人事件」の主犯の別件の未解決殺人事件報道で、2007年の「雑誌ジャーナリズム賞・スクープ賞」受賞。著書に「知らないと怖いインプラント治療」など。

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