名編集者・井上一夫さんが語る「編集者の仕事場 ~本の話をしよう」 | お知らせ | 朝日カルチャーセンター
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「鈴木敏夫×井上一夫 雑談の中から作品が生まれる」

投稿日 : 2017年02月08日

「編集者の仕事場」から生まれた対談

 朝日カルチャーセンター代表取締役社長・石井 勤

 新書として空前のベストセラーとなった故永六輔さんの『大往生』(岩波新書、1994年3月)を始め、型にはまらない書物を世に出してきた井上一夫さん。岩波書店で過ごした約40年の歳月を通して、「手に取ってもらえる本」「読んでもらえる本」を意識してきたといいます。教養書に始まり、「知識」を伝える本から「知恵」をもたらす本へ。編集者の仕事を通して学んだことや出会った人たちを語り、1970年代以降の日本文化の歴史をたどる連続講座「編集者の仕事場」も第3シリーズに入っています。

 連続講座の総まとめ。シリーズの最後を飾るのは、日本映画史に残る数々の名作を生んできたスタジオジブリの代表取締役プロデューサー、鈴木敏夫さんとの対談です。
 「この人と語り合ってみたい」。そんな井上さんの熱意が実を結びました。

井上一夫さん

鈴木敏夫さん

 表現者という言い方があります。
 狭い意味で考えるならば、表現を仕事とする人、でしょうか。
 そこまで限定してもまだ多種多様でくくり切れないのが、表現という行為の幅広さの所以かも知れません。

 たとえば、手段で限定して、言葉で表現する人たちを見てみます。
 その中で、「外から見て何をしているのか分かりにくい仕事」と考えた時、私自身が思い浮かべるのは、新聞や雑誌の「記者」という仕事です。
 数十年の記者経験を持つ身でありながら、どういう仕事なのか、一言で説明しようとすると考えてしまいます。実際にやってみると、語弊があるかもしれませんが、なかなかに面白い仕事であることは間違いないのですが。

 まず、何を書くか。記事にすべき素材を見つけ出すのは、あくまで記者個人の感覚、という面白さがあります。新人記者へのアドバイスで、「感度を高めなさい」「アンテナを張り巡らしなさい」としばしばいわれるのですが、その辺の事情を示しています。
 自分の感覚で素材を見つけ出して、自分の言葉で書く。それが記者の仕事の根幹と言っていいと思います。
 書くのはあくまでも、見つけ出した素材について取材した範囲の説明です。
 ごく少数のコラムニストは自分の考えを書きますが、記者が自分の考えを自分の言葉で書くことは原則としてありません。そこが作家、評論家との違いですし、記者の仕事の特殊なところです。

 では、同じように言葉を扱う編集者はどうでしょう。
 この仕事も、実際に何をしているのか、聞かないと分からない面があります。
 おそらく仕事の出発点は、何を面白いと思うか、自分自身の感覚なのだと思います。そこから出発して、著者とのやり取りがあって、出来上がった書物は、編集者ではなく著者の言葉で書かれている。そこが、記者の仕事より複雑なところです。
 自分の感覚から出発しながら、最後は著者(他人)の言葉で終わる。考えようによっては、新聞・雑誌の記者よりも制約が多く、迂遠な表現のように思われます。
 逆に言うと、制約が多いからこそ、本ができた時の喜びが大きいのかも知れません。

 表現者であって、外から見て何をしているのかが分かりにくい仕事。その代表格が、映画の「プロデューサー」なのではないでしょうか。
 映画づくりの出発点からしても、自分の感覚をもとにスタートさせることがあるのかどうか。仮に、自分の感覚をきっかけにして映画づくりが始まったとして、どんな規模の作品を、どんな態勢で、どのくらいの時間をかけて作り、どうやって公開するのか――。それを決め、必要な資金を集めるのがプロデューサーの仕事のような気がします。
 勝手なイメージで言えば、そういった公開までのプロセスを設計する作業は、極めてビジネスライクに進むもののはずです。だとすると、出発点にある自分の感覚は、自分の中でどのように客観化し、商品としての価値をどんなふうに見極めるのでしょう。
 とても複雑な意識の流れがあるように思えてなりません。

 映画のプロデューサーはどんなふうに仕事をしているのか。いつか、機会があったら聞いてみたい。そんな思いでいたところに持ち上がったのが今回の対談でした。
 いずれ劣らぬ「複雑系」表現者による、展開が読みにくい対談です。

 2人の接点に位置する本があります。
 1冊が「世界のジブリ・プロデューサーが創造の現場を語る!」とうたった『仕事道楽』(岩波新書、2008年7月)。そしてもう1冊が、6年後に出た『仕事道楽 新版』(同、2014年5月)です。岩波書店で取締役(営業担当)となってからも編集の仕事に携わっていた井上さん。その本づくりに対するこだわりが生み出したのが、この2冊でした。

仕事道楽―スタジオジブリの現場(岩波新書)

 「(本を出すなんて)あり得ない」と思っている鈴木さんと、「本にしたい!」という熱い思いでいる井上さん。2人の出会いから出版までの様子を、鈴木さんは『仕事道楽』の「あとがき」でこと細かに説明しています。

 その書き出しが、「どうしてこんなことになってしまったのか」。鈴木さんがなかば呆れたように書いているのが、井上さんの「提案」です。
 いわく――。
 「井上さんの提案は、こうだった。スタイルは、聞き書き。それも、インタビュアーは、井上さんで、あろうことか、原稿案も自分でつくるという。正直いうと、(岩波書店の)販売の責任者が、こんなことにかかずらわっていて大丈夫だろうかという疑念も涌いたが、「そこまでの作業は休日にやる」という。その凄まじいまでの迫力に負けた」

 いい話だなあと、素直に思ってしまいます。

 『仕事道楽』が出た2008年は、鈴木さんがスタジオジブリの社長業から自分を解放し、代表取締役プロデューサーとして「映画のプロデュースに専念」できるようになった年です。そして、宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』が公開された年。走り続けてきた来し方を振り返る、1つの節目でもあったようにも思われます。

 一方、『新版』の2014年は、宮崎駿監督が「ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています」と切り出しつつ、「スタジオジブリのプログラムから、ぼくをはずしてもらうことにしました」述べた「長編映画からの引退」宣言の翌年。『風の谷のナウシカ』をきかっけにスタジオジブリができて30年という区切りの年でした。

 タイミングをとらえる編集者としての直感が働いていることがよく分かります。

 本づくりを巡って、熾烈な駆け引きをしているようにも見える鈴木さんと井上さんですが、2人の間にはある種の通い合いも感じられます。
 徳間書店で月刊誌『アニメージュ』の編集を担当し、宮崎駿さんの漫画『風の谷のナウシカ』の連載を始めた鈴木さん(映画化を目指して、その「原作」を作ってしまおうと始めた連載だった!)です。「自分も編集者」の思いがあるといいます。

 さきほどご紹介した「あとがき」で、鈴木さんは「井上さんという人が妙に気になった」と書きます。最初に「本を出しませんか?」と持ちかけられた時のことです。

 「ひとつは、井上さんがかつては編集部にいて、あのベストセラー『大往生』を担当していたこと。それは、同じ業界にいた者として、聞き捨てならなかった」
「いい意味で『いい加減』の人だったが、一方で緻密さも併せ持つ。相手の気をそらさず、愛嬌もある。デリカシーがあるのだ。まさに、絵に描いたような編集者。おまけに、ぼくと同年齢だったことも気になった」

 鈴木さんの井上さん評ですが、自らを「編集者型プロデューサー」という鈴木さんが思い描く、編集者のあるべき姿が読み取れるように思います。

 では、井上さんは鈴木さんをどのように見ていたのでしょう。
 鈴木さんの文章に面白いくだりがあります。井上さんがスタジオジブリの高畑勲、宮崎駿両監督を引き合いに出して語った言葉として引用されています。

 「ぼくは、高畑さんや宮崎さんには関心がない。しかし、鈴木さんには興味がある。普通の人は、高畑さんや宮崎さんのような天才にはなることが出来ないけど、鈴木さんの真似なら出来る」

 それぞれに理想もこだわりも違う、高畑勲、宮崎駿という2人の巨大な才能。その2人を動かしながら、名作を生み出し続ける鈴木さん。そこにどんな秘密があるのか。鈴木さんだからこそ聞いてみたい――。そんな編集者的発想が見えてきます。
この発言について、井上さん自身は「そんなこと言ったかなあ」と笑うのみですが、編集者として「世に出したいもの」がそこにあったのは確かなようです。

 いま、世の中に広く伝えたいこと、記録しておきたいことがある。それを本にしておけば、たとえば20年後、だれかがふと手にして読み始めるかもしれない。その時、私たちは時間を乗り越えたと言えるのではないか。そんな思いが私にはあります。
 様々な角度から分析し、論じ、伝える多様な出版物が(新聞を含め)あってこそ、世の中の健全さは保たれるのではないか。そんな確信に近い思いもあります。

 今回のシリーズ講座を通じ、出版や本の世界に関心を持つ方が増え、そのことを通して出版界で悪戦苦闘している人たちが少しでも元気づけられるならと願っています。

いずれも、東京都新宿区西新宿2-6-1 新宿住友ビルの新宿教室で