震災から6度目の夏――陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて | お知らせ | 朝日カルチャーセンター
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震災から6度目の夏――陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて 朝日カルチャーセンター代表取締役社長・石井 勤

投稿日 : 2016年08月19日

中央祭組の山車 今年は白を基調とした清楚で若々しい飾り付けになった 2016年8月7日

もうすぐ新しい街が生まれる

 東日本大震災から6度目の夏を迎えた岩手県陸前高田市。広田湾に面した、広い範囲でかさ上げ工事が進む一角で2016年8月7日、伝統の夏祭り「うごく七夕」が行われました。

昨夏の中央祭組の山車

夕方の巡行に向けて半纏(はんてん)型の行燈を山車に載せる中央祭組の人たち

 中央祭組の山車(だし)を彩る紙飾り「あざふ」の準備には、朝日カルチャーセンターの新宿教室が今年もボランティアで参加しました。遠く離れた東京・新宿で、心を込めて折ったあざふ数千枚が、御簾(みす)になって山車を彩りました。1つひとつの飾り付けに、祭りの準備に携わる多くの人の思いがこもっています。手作りの紙飾りが風に揺れる様は、はかなげで、けれども懸命に輝こうとしている、そんな美しさに満ちていました。

お囃子(はやし)の若者たち、子どもたちが集まって来た

夕映えを受けて進む山車 中央祭組では年々、曳く人が少なくなっている

 市内にある祭組は12。津波被害の後も、それぞれに意匠をこらした山車が旧市街地に集まり、年に1度の華やかな祭りを盛り上げて来ました。けれども今年は、かさ上げ工事が進んだことで山車が動ける範囲が限定され、1カ所に勢ぞろいすることはできません。近くの地区の3、4基の山車が集まり、通れる道を通って動かすという限定版のお祭りになりました。

山の向こうに太陽が沈み 山車の照明が輝きを増し始めた

薄暮 津波の被害を受けた一画には街の灯りがない

かさ上げした土地が広がる 1年後にはここに商業施設ができる予定という

 大震災から5年5カ月が経ち、街の再建はようやくその姿が見え始めました。かさ上げ地区の中心部が一定の面積になり、年明けには大型商業施設の建設が始まります。山の裾野の高台に仮住まいをしていた個人商店や飲食店がその周囲に戻って来れば、そこを核にして新しい陸前高田の街ができて行きます。広田湾の海岸線に沿って巨大な堤防が建ち、山の裾野に続く一帯がかさ上げされ、新しい商業地区になる。その姿は確かに、海辺の砂浜と美しい松原を自慢にしたかつての陸前高田とは違っています。自然の猛威に対する怖れが、人の暮らしを海から遠ざけた感はあります。水辺との距離感が大きい街づくりに対して、かつての姿を懐かしむ人の間には、失われるものを惜しむ気持ち、寂寥感がありました。

 かさ上げ工事が進めば、今年、中央祭組の山車が動いた一帯、津波の被害を受けながらも残った道路はすべて盛り土の下になります。陸前高田を通って宮城県気仙沼市と岩手県大船渡市を結ぶ、海沿いの幹線道路も姿を消します。今年のうごく七夕が、旧市街地の面影を残す一画で行われる最後のお祭りなのだと、参加した人たちは分かっていたはずです。

 旧市街での最後のお祭り。地元の人たちと話していて感じたのは、寂しさや感傷よりも、新しく生まれる街へのより前向きな視線でした。来年の夏は、新しく大型商業施設ができるかさ上げ地区に、市内12の祭組の山車がそろう可能性があります。その時、陸前高田のうごく七夕は新しい時代に向けて一歩、踏み出すことになります。

中央祭組の参加者 そろいのTシャツを着ている

 旧市街地の中心部の町会による祭組として、最も大きな変遷を経験することになる中央祭組の伊藤敬さんも、津波が襲った高さを伝えようと、所有する「米沢商会ビル」を敢えて残した米沢祐一さんも、新しい時代に目を向けているように感じられました。

 中央祭組の関係者にとって気がかりなのは、年々減ってきている参加者数です。お囃子を担当する若者と子どもたちは減っていないのですが、曳き手の数が減っています。かさ上げ地区に商業施設が戻って来たとして、参加者はどれくらい戻るのか――。

 かさ上げ地区に陸前高田の新しい市街地ができた後、中央町会の構成メンバーはどうなっていて、中央祭組の支え手はどんな顔ぶれになっているのか。伝統の夏祭りが、担い手を替えながら受け継がれてきたように、また新しい歴史を刻み始める。この夏のうごく七夕は、新しい歴史の序章のように見えました。


朝日カルチャーセンターは、東日本大震災を語り継ぐだけでなく、これからも被災地を支援していきます。