震災から5度目の夏――岩手県陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて | お知らせ | 朝日カルチャーセンター
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震災から5度目の夏――岩手県陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて 朝日カルチャーセンター代表取締役社長・石井 勤

投稿日 : 2015年08月31日

切実な思い 「何とかして今年もお祭りをやらなければ」

 岩手県陸前高田市。東日本大震災から5度目の夏を迎えた8月7日、広い範囲でかさ上げ工事が進む旧市街地の一角で、伝統の「うごく七夕」が今年も行われました。

山車の飾り付け作業が進む 2015年8月6日

本番の朝、運行の準備が整った 8月7日

 和紙を染め、1枚1枚、手で折っていく紙飾り「あざふ」の色合いは、年によって少しずつ変わります。けれども、人の手がもたらす素朴な味わいと、風に揺れるあざふのはかなさ、集まって来た人が手で引く山車の穏やかな動きは、変わることがありません。

 陸前高田の土地柄や風土、ふだんは静かな海と緑なす山に囲まれて暮らす人たちのやさしさや心意気。すべてが幾層にも重なりあって地域の民俗文化に結晶している。そんなことを感じさせる、とてもきれいなお祭りでした。

 お祭りの準備は、開催できるかどうかさえはっきりしない5月に始まりました。たとえ山車を動かせなくても、作ることはしたい。そんな思いで始まった準備作業だったといいます。

 私たち朝日カルチャーセンターでも、中央祭組のあざふ折りを今年も引き受けました。昨年同様、あざふ折りボランティアの形で新宿教室のお客さまに折っていただき、社員・スタッフも休憩の合間に折りました。お客さまが折ったあざふを含め、すべてが今年の山車を飾る御簾(みす)になったことをご報告します。ご協力、ありがとうございました。

かさ上げ工事の中を進む 8月7日

すれ違う山車 背後に盛り土の山が見える 8月7日

 今年、大きく変わったのは、陸前高田の風景でした。津波に洗われ、一面の平地になってしまった旧市街地で、かさ上げ工事が進み、間の道路に立つと、周りを見渡すことができないくらいになっていました。広々とした広田湾の海面も、巨大な堤防の建設工事が進み、全く視野に入ることはありません。

 お祭り本番の山車の運行は、ふだんは一般車が通れない、かさ上げ工事用に残された道路を借りて行われました。「それでも、動かせてよかった」。多くの人が、大量の土を積み上げて固めたかさ上げ工事現場の間を行く山車を見て、そう思ったと思います。どうなるか、直前まで全く分からなかったのに、とにかくここまでやれた。中心になって準備作業を担った人たちは、状況の厳しさを実感しながら、それでもほっとしている様子でした。

 やむを得ないことのように感じつつ、少し残念に思ったのは、お祭りに参加する人の数が少なくなって来ていることです。東日本大震災以降、陸前高田を離れて暮らす人もいます。旧市街の家を津波で壊され、いまだに仮設住宅で暮らす人、高台に自宅を新築しそこで暮らす人。境遇や生活の苦しさは、本当に人それぞれです。そんな中で、毎年、うごく七夕の日に戻って来て、元気でやっていることを喜び合い、1年後の再会を約束する。そんな人がこれまでは多かったのだと思います。

炎天下、山車を止めての休憩 8月7日

 ふるさとを再確認する場としてのうごく七夕。その当日に集まる人が少なくなっている。運行の本番が8月7日の平日であること、動かせるかどうか、ぎりぎりまで決まらなかったなどの状況を考えれば、致し方のないことともいえます。それでも、かさ上げ工事が完了し、全く新しい市街地がその上に出来上がるころ、お祭りはどうなっているのでしょう。その時、陸前高田の人たちは何によって地域の歴史や伝統、人のつながりを再確認し、ふるさとを再生させるのだろうと、思わずにはいられません。

 人がふるさとを実感する核のようなもの。それがなければ、街は再建されても、ふるさととしての実感は薄れてしまいます。巨大な津波の被害を記憶にとどめるものとしては、奇跡の一本松や国道沿いの道の駅の内部が壊れた建物などが残っています。

津波の巨大な力を示す道の駅の建物 8月7日

かさ上げ工事現場の向こうに小さく頭をのぞかせる米沢商会ビル 8月7日

 市内で包装資材会社「米沢商会」を経営する米沢祐一さんが残した米沢商会ビルは、かさ上げ地区から外れたため、いまもその姿をとどめ、津波到達点の高さを示し続けています。けれども、人が長く住み、子や孫を育て、日々の暮らしを営んできたふるさとの記憶をとどめるものは、かさ上げ工事が進む旧市街地にはありません。

 津波に洗われ、家や店が消えてしまった旧市街地は、一面の平地になった後も、元の姿を思い出させる何かがあちこちにありました。家が流された後にわずかに残った土台は、そこに立てばかつての暮らしをありありと思い浮かばせる、よすがでもあったのです。山を切り崩した土が巨大なベルトコンベヤーで運ばれ、旧市街地を埋めているいま、そこで営まれていた暮らしの記憶は何によってつなぎ止められるのか。そこにあった地域社会の人のつながりは何によって保たれるのか。大きな課題が横たわっています。

 私たちは、人が生き生きと暮らしを営む真の復興を願って、地域の民俗文化を守るお手伝いを始めました。首都圏で暮らす人たちが、震災による被災の現実を記憶の底に沈めかけているいま、だからこそこだわり続けなければならないとも考えています。

 私たちはこれからも、うごく七夕を通して、陸前高田の地域社会の再生と復興を見守り、自分たちにできる応援を続けるつもりです。


朝日カルチャーセンターは、東日本大震災を語り継ぐだけでなく、これからも被災地を支援していきます。