震災から3度目の夏―岩手県陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて | お知らせ | 朝日カルチャーセンター
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震災から3度目の夏―岩手県陸前高田市の「うごく七夕」を訪ねて 代表取締役社長・石井勤

投稿日 : 2013年09月12日

「受け継いだ祭を守って行きたい」との思いが地域の結束力に

 東日本大震災から3度目の夏を迎えた岩手県陸前高田市で8月7日(水)、津波にさらわれたかつての市街地で伝統の「うごく七夕」が行われました。1枚1枚手で折った紙飾り「あざふ」を何万枚も山車(だし)に飾り付け、町内を引いて歩くというお祭りです。飾りを作るのも町内会の人なら、力を合わせて引っ張るのも町内会の人たちです。あらゆるものが人の手によって作られ、人の手によって成り立っている穏やかさとやさしさ。人肌の温もりを感じさせる、とてもきれいなお祭りでした。

山車の飾り付け作業 この日はあいにくの雨になった 8月6日

思いを込めた飾りが用意されていた 8月6日

紙を折って集めたぼんぼり 8月6日

お囃子の子どもたちが集まってきた 8月7日

出発前の打ち合わせ 8月7日

力を合わせて引っ張る 8月7日

すれ違う山車とササをぶつけ合って挨拶 8月7日

ササの高さを競うように進む 8月7日

 お祭りの準備には2ヵ月ほどかかるといいます。

 町内会の役員さんや、地元で仕事をしていて時間の使い方が少しだけ自由になる人たちが中心になって、手弁当で飾りづくりを進めます。

 毎年、繰り返して使うのは山車の台車部分だけ。山車の周りに下げる御簾(みす)やぼんぼりを新たに作るだけではありません。お囃子(はやし)の子どもたちが乗る台の部分も、短冊をたくさん付けたササを立てる上部構造も、1年ごとに組み立て直します。

 大勢の人が役割を分担して、その日のために作業を進め、子どもたちは太鼓や笛の練習をして本番を待つのです。準備作業を支えてきた1人が、市内で電気設備業を営む伊藤敬さんです。プレハブ建ての仮設の会社事務所は組み立てを待つ紙飾り置き場と化し、昼も夜も、関係先との連絡や飾りづくりに終われて来ました。

 そして迎えたお祭りの前日。鉄パイプを組み、ブルーシートをかぶせた仮設の作業場で、骨組みだけだった山車に飾りをつける作業が始まります。伊藤さんたちが苦労して作ってきたパーツが組み合わさり、今年の山車が始めて形になる瞬間です。

 お祭りの当日、8月7日は朝から晴れ上がりました。山車を仮設の作業場から引き出し、最後の飾りつけが始まります。国際NGO・日本国際ワークキャンプセンター(NICE)の災害復興特別ワークキャンプのボランティアの人たちが、地元の人を手伝います。

 飾りつけが進んで山車が出来上がるころ、お囃子の子どもたちが集まってきます。全員、おそろいのTシャツに着替え、出発です。

 仮設の作業場があったのは、かつては中央町内会の町内会館があった場所でした。いまはさら地のまま。津波の爪痕を残していた旧市役所の庁舎もすでに取り壊され、あたり一面が平らな雑草地になっています。

 そんな一帯のわずかに残った舗装道路を、山車は進みます。

 引っ張るのは、集まって来た町内会の人たちや、この日のために戻ってきた懐かしい顔ぶれ、そしてボランティアの面々です。簡単な打ち合わせの後、長さが数十メートルあるロープ2本に思い思いに取りつき、掛け声に合わせて力を込めます。重さ3トンと言われる山車ですが、動き出してしまうと意外に軽くなります。

 太鼓と笛だけの素朴なお囃子を聞きながら、吹きわたる風を体に感じ、進みます。別の町内会の山車がやって来ると、山車を止め、エールの交換です。引っ張っていた人たちは拍手。山車の上では飾りをつけたササをぶつけ合い、交差させて、意気を示します。

 ササが交差するたびに、色とりどりの短冊がはらはらと宙に散り、紙飾りを集めた山車のはかない美しさが胸にしみるのです。

 山車の大きさは祭組(町内会)によって違います。飾りつけもそれぞれの意匠と工夫が出ていて、作り手の個性を感じさせます。同じように、お囃子の調子も違っていて、聞けばどこの組かわかると言います。

 各祭組の山車は、ロータリーだけが残るJR大船渡線の旧陸前高田駅前や、かつては町並みが続いていた場所をそれぞれに通り過ぎて行きます。1時間ほどでほとんどの山車が町の中心部に戻り、そこで一休み。道路わきにはボランティアや支援団体のテントが並び、焼きそばやかき氷、自慢のカレーライスなどを売っています。 陸前高田を思い、再建を支援しようとする人たちの思いがここに集まっていました。


小さいけれど心がこもっている 8月7日

かつての町の中心部で一休み 8月7日

多くの人からメッセージが寄せられた 8月7日

願いがこもったTシャツ 8月7日

 陸前高田の旧市街地では、土を盛って高くするかさ上げ工事が来年には始まる予定です。工事が始まれば、うごく七夕の山車を引いて歩ける場所は限られます。被災生活が長引けば、地元を離れる人も増えるでしょう。

 祭に参加したすべての人が、うごく七夕を続けられるのかどうか、自分たちの町がどうなって行くのか、見通しを立てにくい状況の中で揺れているようにも見えました。

 その一方で、「だからこそ何とかするのだ」と気持ちを固めている人たちもいました。うごく七夕を続けることが暮らしを取り戻す支えになるのだ、という思いです。

 「いまは陸前高田を離れて遠くで暮らしていても、うごく七夕の日にはみんな戻って来るんです」「うごく七夕をやって、終わると、また来年のうごく七夕を目標に次の1年が始まる。陸前高田の人間にとって、うごく七夕ってそういう存在なんです」

 力をこめて話す伊藤さんの言葉が耳に残りました。


津波の記憶をつなぐ米沢商会ビル 8月7日

こうして津波から逃れた 8月7日

 中央祭組の山車は、昼前に出発点に戻り、午前の部は終了しました。町内会の人たちは昼食のために一度解散し、夜の部に向けて午後4時過ぎにまた戻って来ます。

 祭組の中に、市内で包装資材会社「米沢商会」を経営する米沢祐一さんの姿がありました。米沢さんは、津波に洗われて床と壁だけになった無残な姿の米沢商会ビルをあの日のまま、取り壊さずに残しています。

 ビルの中を案内していただきながら、そこにいて生き抜いた者にしか語れない、津波の巨大なパワー、その恐ろしさをまざまざと感じました。

 米沢さんはあの日、近くの倉庫にいて地震に遭い、急いで米沢商会ビルに戻りました。ビルにいた両親、弟の3人は市の避難場所になっていた市民会館に避難し、社内は無人でした。シャッターが閉まっていることを確認して、2階に行こうと階段を上がり、踊り場の窓から下を見ると、ビルを通り越して海水が押し寄せています。慌てて3階に上がり、踊り場の窓から見ると、どす黒い水は陸地のさらに奥まで到達しています。

 屋上に続く階段を1段飛ばしで駆け上がり、屋上に出る鉄製のドアを開けようとして、米沢さんは砂粒交じりの空気の塊が顔に叩きつけるように押し寄せるのを感じたといいます。何とかドアをくぐり、屋上の上部構造に上がる鉄のはしごをさらに上ります。そのころには津波はすぐ足元まで迫っていました。

 屋上の上部構造の端に高さ1メートル余りの煙突部分がありました。米沢さんがその上に上がり、屈みこむようにしがみついた時、体の下を津波が越して行ったといいます。

 高さ14メートル。巨大な津波が去った後、米沢さんは煙突の陰にうずくまり、雪の中で1晩を耐え抜きました。後で知ったことですが、巨大な津波は第2波でした。夜の間も津波は繰り返し押し寄せましたが、屋上まで届くことはありませんでした。

 長い夜が明け、破壊し尽くされた町が目に飛び込みました。ビルのすぐそばにあった市民会館も完全に津波に呑まれ、避難者全員が亡くなりました。米沢さんの両親と弟も助かりませんでした。

 米沢さんは、「いま、自分は両親と弟の3人分も一緒に生きているんだと思うんです」と、ごく自然に口にします。3人の肉親を失った悲しみを抱えたまま、前を向いて生きて行くのだという、穏やかでありながらとても強い決意がこもっていました。

 米沢商会ビルを取り壊さず、残しておく理由もはっきりしていました。

 震災の悲惨さを記憶にとどめるための鎮魂のモニュメントにしたかったのではありませんでした。米沢さんは、津波がどこまで到達したのか、一目で分かるようにしておく必要があるといいます。

 米沢さんは今年に入って、屋上の煙突部分に「津波到達水位」の表示板を取り付けました。青い地に赤い文字が浮き上がり、ビルの下からでもはっきり見えます。

 「残しておかなかったら、津波がどんなに高いところまで到達したか、実感として分からなくなってしまうと思うんです」

 3.11の大震災で何があったのか、語り続けなければ、記憶は風化します。

 「いつかまた次の災害はやって来る。そのとき何としても被害を小さくしなければ」

 それが、米沢さんのあしたに向けた静かな決意でした。

「陸前高田フォーラム」開催(9月28日・29日)

 東北近代史の研究者による「陸前高田フォーラム」を9月28日(土)~29日(日)に開催します。

 募集は終了しました。

 「歴史が照らす『生存』の仕組み ―3.11災害後のいのち・暮らし・地域文化―」

9月28日(土)
14:00~16:30
3年目の陸前高田市見学  ボランティアガイド 実(み)吉(よし)義正さん
朝日カルチャーセンターにメールで事前申し込み
JR気仙沼駅前に午後2時までに集合
17:00~18:00
プレフォーラム 保育所からみえる3.11災害後の子どもたち
佐々木利恵子さん(市立高田保育所長)にお話を聞く
大門正克(横浜国立大教授)
19:00~
交流会
9月29日(日)
09:00~09:30
はじめに  陸前高田フォーラムの趣旨説明  大門正克
09:30~11:00
第1講座:地域の復興を支える文化財保存――歴史を掘り起こす意味
熊谷賢さん(陸前高田市立博物館)
川内淳史(歴史資料ネットワーク事務局長)
河西英通(広島大教授)
11:10~12:40
第2講座:いのちを守る地域医療――病院と保健の歴史と現在
高岡裕之(関西学院大教授)
石木幹人さん(県立高田病院・前院長)
13:20~15:50
第3講座:「人間の復興」を実現する生業と自治――暮らしを創り支え合う「生存」の仕組み
佐藤博文さん(きのこのSATO販売社長)
まとめ  岡田知弘
フォーラム会場 米崎コミュニティセンター
陸前高田市米崎町字川向14-1 電話 0192-54-2965
交流会会場 マイウス&ユニウス
同市竹駒町字滝の里28-1 電話 0192-47-3461
主催
朝日カルチャーセンター
後援
朝日新聞社、東海新報社、岩手地域総合研究所
県立高田病院を守り発展させる市民の会
参加費
フォーラム:無料
交流会:¥3000

朝日カルチャーセンターは、東日本大震災を語り継ぐだけでなく、これからも被災地を支援していきます。