震災から2年―岩手県釜石市・旅館「宝来館」での「いわて民俗芸能フォーラム 黒森神楽釜石巡行」公演を訪ねて | お知らせ | 朝日カルチャーセンター
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震災から2年―岩手県釜石市・旅館「宝来館」での「いわて民俗芸能フォーラム 黒森神楽釜石巡行」公演を訪ねて 代表取締役社長・石井勤

投稿日 : 2013年02月21日

民俗芸能による地域再生への挑戦

 東日本大震災から丸2年となるのを前に、今月9日(土)~10日(日)、岩手県釜石市の大槌(おおつち)湾に面して建つ旅館「宝来館」(ほうらい・かん)を訪ねました。旅の目的は、いわて民俗観光プロジェクトが主催する「いわて民俗芸能フォーラム 黒森神楽(くろもり・かぐら)釜石巡行」の廻り神楽公演です。岩手県内に残る伝統の民俗芸能を観光資源として活用し、震災からの復興、地域社会の再生につなげようとする試みでした。

津波の被災者を供養する神楽念仏 岩手県釜石市の根浜海岸で

黒森神楽の一行が根浜海岸に向かって頭を下げた

恵比寿舞 鯛を釣り上げる仕草が楽しい

宝来館 津波は2階部分まで押し寄せた

宝来館の裏手に山へ逃げる階段があった

宝来館の女将の岩崎昭子さん

七福神の舞 夜神楽が華やかに盛り上がって終わった

 黒森神楽は国指定の重要無形民俗文化財です。岩手県宮古市を本拠に、毎年1月から3月にかけて三陸沿岸の「宿」(やど)を巡行し、神楽舞(かぐらまい)を楽しみにする地域の人たちに心の支えとかけがえのない楽しみを与えてきました。神楽衆(かぐらしゅう)は、漁業を営んでいたり、勤め人だったりという人たちで、本業を持ちながら、それぞれに時間をやりくりして活動を続けています。

 一人ひとりが伝統を受け継ぐ努力をして来ました。しかし、2011年3月の東日本大震災で多くの命が失われ、地域社会が大きな痛手を受けた直後は、「こんなことをしていていいのか」との思いを抱いたといいます。

 その思いを乗り越えさせたのが、「地域の人たちの祈りを形にしたい」「地域の人たちに代わって、神様に祈念する役割がある」という使命感でした。

 9日の午後、宝来館に着いた一行はすぐに目の前の根浜(ねばま)海岸に向かいました。津波で亡くなった方たちの霊を供養するためです。一行は、権現(ごんげん)様が宿った獅子頭(ししがしら)を先頭に海に向かって立ち、「神楽念仏」と呼ばれる祈祷儀礼を行いました。

 黒森神楽は震災から約100日で活動を再開しました。それ以来、巡行先に海岸があれば、まずは海岸に出て、自主的に神楽念仏を行ってきているといいます。

 宝来館での夜神楽は1階の大広間に神楽幕を張り、午後6時から始まりました。

 権現様が宿った獅子頭2体は、舞台下手に安置され、神楽衆の拝礼も済んでいます。

 まずは笛と太鼓、鉦(かね)による「打ち鳴らし」です。これによって、神楽幕の前の「舞庭」(まいにわ)を清め、神々を招くといわれています。

 見守る観客は70人~80人。お祓いの舞の「清祓」(きよはらい)に始まる演目を、全国からやって来た神楽好きが地元の人に交じって楽しみました。

 この日の黒森神楽公演を、宝来館の女将、岩崎昭子さん(53)は特別な思いで見つめていました。

 前回、宝来館に黒森神楽がやって来たのは11年2月28日。間もおかず、東日本大震災が起きました。

 揺れが来た瞬間、岩崎さんは「来るものが来た」と思ったそうです。三陸沖地震が来るという予感のようなものを岩崎さんは持っていました。経験したことがない、大きく長い揺れが、予感が当たっていたと感じさせたのです。

 岩崎さんはすぐに旅館の裏山に逃げました。揺れに続いて、大きな津波が来ることは分かっていました。従業員も含めて安全に避難したと思ったのもつかの間、岩崎さんは後で「決してやってはいけなかった」と思う行動に出ます。

 避難所にもなっている宝来館の建物に、近所の人が集まって来ていたのです。岩崎さんは思わず山を走り下り、「早く、早く逃げて」と叫びながら、山へと促します。その背後に津波が迫っていました。

 近所の人たちは何とか逃げ延びました。しかし、岩崎さんは山へと上がる直前に津波にのまれてしまったのです。

 暗く冷たい水の底へ引き込まれながら、岩崎さんはあきらめませんでした。浮きあがろうと両手で必死に水をかくうち、自分が山の裾にいて、引き波にさらわれずに済んだことに気付きました。

 避難を促して走る岩崎さんの姿を、山に避難した従業員が動画に記録していました。

 それからの数日は、寒さと飢えと、疲労の極限にあって、生きるのだという気持ちだけが支えでした。津波に飲まれながら生き延び、衰弱しきった人がいます。けが人も、真っ暗な山中を歩いてようやくたどり着いた人もいます。4階建てのうち2階まで破壊された宝来館に、一時は120人ほどが身を寄せ合ったといいます。客室にある冷蔵庫を壊してわずかな飲料水を確保する一方、津波をかぶって汚れた米を大浴場のお湯で洗って炊き、一緒に避難していた人たちが少量ずつ分け合って食べました。

 そんな状況の中、周りに気を配り、かいがいしく動き回る岩崎さんの姿が民放のドキュメンタリー番組の映像記録として残っています。小柄な体で、どこからそのエネルギーが出てくるのかと思わせるような、決して音を上げない姿がそこにあります。

 あれからもうすぐ2年。念願の黒森神楽を迎え、岩崎さんは同じようにかいがいしく動き回っていました。遠来の客に笑顔で挨拶して回り、しばらくして甘酒を入れた紙コップをお盆に載せ、客席で配っていたかと思うと、一瞬も見逃したくないという様子で客席の隅に座り、神楽の演目を見つめています。その背中と熱心な視線が、岩崎さんがこの神楽をどれだけ大事に思っているか、雄弁に物語っていました。

 初日の夜神楽は、七福神が寄り集まって宴会が始まり、それぞれが何かの芸を披露していくという「七福神」で幕を閉じました。軽妙なやり取りに、客席では何回も笑いが弾け、ほんのりと心が温まる演目です。たとえば福禄寿(ふくろくじゅ)が「三番叟」(さんばそう)を披露すれば、弁財天(べんざいてん)が山形県の民謡『真室川音頭』(まむろがわ・おんど)の手踊りを、天女のようにしなやかに、あでやかに舞って見せるという具合です。

 外は闇。暗い海を吹き渡る風は冷たくても、宝来館の1階大広間はこの夜、一足早く春になっていました。華やいだ雰囲気でこの日の公演は終わりました。

 「震災前は、神様が神楽衆を使って舞わせていると思っていたんです。でも、今日は、神様が舞っている、と感じました」

 夜神楽が終わった後の岩崎さんの感想です。

 岩崎さんに限らず、多くの人が今回の黒森神楽公演に夢を託していました。

 津波によって壊滅した地域社会を再生させるという目標があります。そのために、全国の観光客に来てもらい、地域経済の柱にしていきたい。

 ならば、岩手県内の各地に残る伝統の民俗芸能が観光資源になるのではないか――。

 その代表格が、これまでは地元の人だけで楽しんできた神楽の公演でした。

 宝来館での黒森神楽公演を岩手県教育委員会、釜石市教育委員会などが後援し、文化庁は「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」と位置付けました。

 民俗芸能の宝庫・岩手県で始まった、息長く続けなければならない事業の第一歩です。

 黒森神楽など民俗芸能の活動の様子は東北文化財映像研究所・阿部武司さんの映像ライブラリー http://www.youtube.com/user/asaproabe でご覧になれます。

 宝来館(岩手県釜石市鵜住居)のHPは http://houraikan.jp/ で。


朝日カルチャーセンターは、東日本大震災を語り継ぐだけでなく、これからも被災地を支援していきます。