6世紀の倭国と王権
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  • 森田 喜久男(淑徳大学教授)
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 律令制国家成立以前、6世紀代の倭国は、5世紀代の「倭の五王」の時代と異なり、中国側の史書からは姿を消します。では、この時期の倭国の様子はどのようなものであったのか。6世紀は、大きな反乱が起きるなど一見するとヤマト王権は動揺しているかのように思えますが、実はこの時期に各地に屯倉が設置され、地域の有力者が国造に任命されるなどヤマト王権による地域支配が確実に進行していたのです。
  『古事記』や『日本書紀』などの史書のもとになった皇統譜、帝紀が成立したのもこの6世紀代ですし、仏教が公式に百済から伝えられたとされる538年も6世紀前半に当たります。6世紀代の歴史をひもとくことは、次の推古天皇の時代に花開いた飛鳥文化を理解する上でも役に立つことでしょう。さあ、ご一緒に6世紀の倭国の歴史を学んでみませんか。(講師・記)

【カリキュラム】

第1回 継体天皇の実像    
『古事記』・『日本書紀』によれば、応神天皇の5世孫とされる継体天皇。それ以前の皇統はつながらない「新王朝」の始まりという説も有力ですが、そもそも継体天皇はなぜ即位できたのか。在位中に磐井の乱が起きたり、『日本書紀』の末尾に崩御をめぐって不可思議な史料が掲載されている継体天皇、その素顔に迫ります。

第2回 欽明朝の史的意義 
欽明天皇と言えば、この天皇の治世に百済から仏教が公式に倭国に伝えられたとされていますが、この時期の宮廷では蘇我氏が台頭してきました。蘇我氏と言えば、聖徳太子に比べて、悪役としてのイメージが強い氏族ですが、実はこの時期、蘇我稲目は欽明天皇を支えて王権強化のために重要な役割を果たしています。では欽明は、蘇我氏を登用してどのような形で倭国を支配しようとしたのでしょうか。

第3回 崇峻天皇の悲劇
  崇峻天皇と言えば、蘇我馬子の意を受けた東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に暗殺された天皇ですが、『日本書紀』を読んで見るとこの時、あまり大きな混乱が倭国では起きていないのです。もしかして…犯人は馬子だけではないかも。あるいは宮廷全体が共犯者と考えると、どのような歴史が浮かび上がってくるのでしょうか。女帝推古出現の前史としての「王殺し」の意味について考えてみましょう。

 

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日程
2021/7/28, 8/25, 9/22
曜日・時間
水曜 15:30~17:00
回数
3回
受講料(税込)
会員 9,900円 
設備費(税込)
495円
その他
教室は変わる場合があります。10階と11階の変更もあります。当日の案内表示をご確認ください。

講師詳細

森田 喜久男(モリタ キクオ)
1964年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(歴史学・駒澤大学)島根県古代文化センター、島根県立古代出雲歴史博物館を経て、淑徳大学人文学部教授。日本古代史・神話学・博物館学専攻。著書『日本古代の王権と山野河海』(吉川弘文館)、『やさしく学べる古事記講座』(ハーベスト出版)、『古代王権と出雲』(同成社)、『能登・加賀立国と地域社会』(同成社)他。