「古事記」「日本書紀」の伝承から古代王権の実像に迫る

  • 森田 喜久男(淑徳大学教授)
講師詳細

 律令制国家成立以前の古墳時代、ヤマト王権の段階の歴史を考える際に、『古事記』や『日本書紀』に書かれていることを、安易に当時の史実と見なすわけにはいきません。
 しかし、同時代の史料として残されている『宋書』などの中国側の文献や江田船山古墳出土大刀、稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文の記述なども極めて断片的で、それだけでは過去の歴史を詳しく知ることはできません。また考古資料だけで過去の歴史を浮かび上がらせることは大変な困難を伴います。
 『古事記』や『日本書紀』に記された伝承は、それらが当時の事実を示すものとは限りませんが、本当に『古事記』や『日本書紀』の編者の頭の中だけで考えた「物語」なのか、何らかの素材となる史実がなかったのか、この点について一緒に考えてみませんか。そこから、日本が倭国と呼ばれていた時代のオオキミの意外な素顔が浮かび上がってきます。(講師・記)


第1回 神武東征伝承を読み解く  
 神武天皇については、実在したか否か、それ自体が問題とされていますが、なぜ日向国から大和へ東征するような伝承が生まれたのでしょうか。その伝承を通して、『古事記』や『日本書紀』の編者が本当に言いたかったことは何だったのでしょうか。この点を突き詰めて考えると、オオキミの理想像が浮かび上がってきます。

第2回 ヤマトタケルの実像 
 ヤマトタケルは、著名作家の小説の題材ともなり得る悲劇の英雄として描かれています。
では、なぜ、ヤマトタケルは命を落としたのか。ヤマトタケルが悲劇の英雄として描かれなくてはならなかった本当の理由は何か、これらの点について考えてみることで、オオキミとなるべき人物に求められている条件とは何か、この点が明らかになります。 

第3回 応神と三人の皇子
 『古事記』や『日本書紀』によれば、応神天皇は、「三韓を征伐した」とされる神功皇后を母とし、産まれながらにして「天下」を統治した天皇として描かれています。その皇子には、オオヤマモリ・オオササギ・ウヂノワキイラツコの三人の皇子がいました。
 応神は、末子のウヂノワキイラツコを跡継ぎとして指名しますが、最終的にはオオササギが即位します。この一連の出来事は、単なる兄弟の争い以上に重要な意味を持っているのです。この伝承の分析からオオキミを中心とする「天下」のあるべき姿が浮かび上がってきます。

この講座は、ご入会が必要です。会員でない方は、ご入会の手続きをお願いいたします。

残席わずか
日程
2020/10/28, 11/25, 12/23
曜日・時間
水曜 15:30~17:00
回数
3回
受講料(税込)
会員 9,900円 
その他
教室は変わる場合があります。10階と11階の変更もあります。当日の案内表示をご確認ください。

講師詳細

森田 喜久男(モリタ キクオ)
1964年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。博士(歴史学・駒澤大学)島根県古代文化センター、島根県立古代出雲歴史博物館を経て、淑徳大学人文学部教授。日本古代史・神話学・博物館学専攻。著書『日本古代の王権と山野河海』、『やさしく学べる古事記講座』(ハーベスト出版)、『古代王権と出雲』(同成社)他。